震災時こそ念入りな「歯磨き」で死者が減る理由

誤嚥性肺炎の予防には口腔ケアは大事
日本人の死因3位になっているのが肺炎。特に誤嚥性(ごえんせい)肺炎は高齢者に多い。誤嚥性肺炎は阪神・淡路大震災をはじめ、過去の震災での「震災関連死」と呼ばれる中でも多数を占めており、予防には口の中を清潔に保つ口腔(こうくう)衛生管理が極めて重要となる。(歯科医師・歯学博士・日本歯科総合研究所代表取締役社長 森下真紀)

死因第3位になった「肺炎」

歯周病菌などは誤嚥性肺炎の原因にも
 これまで長い間、「悪性新生物」「心疾患」「脳血管疾患」が日本の3大死亡原因であった。しかし近年、「肺炎」による死亡数は増加の一途をたどり、ついには脳血管疾患を追い抜き、現在では死因の第3位となっている。その背景には、高齢化率の上昇が深く関与しており、事実、肺炎によって亡くなった人の約97%を65歳以上の高齢者が占めている。
 高齢者の肺炎の多くは、食べ物や飲み物、唾液などを誤って気管から肺に吸い込んでしまう「誤嚥」が原因で生じる「誤嚥性肺炎」だ。
 本来、飲食物や唾液は、飲み込むと食道に運ばれる。しかし、飲食物や唾液が食道ではなく誤って気道に流れてしまうと、唾液とともに口の中の細菌が肺へ流れ込み、繁殖して炎症を起こしてしまうのだ。こうして誤嚥性肺炎が生じるのである。
「誤嚥」という言葉から、食事中に飲食物を誤って気管へ飲み込んでしまうことで誤嚥性肺炎は起こると考えられがちだが、実際は夜間の睡眠中に、唾液が気管に垂れ込んでしまうことが原因で発症することが多い。唾液中に混在する口腔内の細菌、中でも歯周病原菌が肺に入り炎症を起こすということが分かっている。

高齢者に誤嚥が増加する原因とは?

予防には口腔衛生管理が極めて重要

 高齢者に誤嚥が増加する原因としては、加齢に伴う筋力の低下、脳梗塞後遺症など病気の影響による飲み込む機能(嚥下機能)の低下、そして誤って気管に入った唾液などをせき込んで外に押し出す咳反射の低下が関係している。
 さらに、食細りなどの生活に起因した体力の低下や、ストレスや糖尿病の悪化、そして特に、免疫抑制効果を有する悪性腫瘍薬の副作用によって免疫力が低下すると、肺炎の発症リスクは高くなる。
 加えて、高齢者は抗菌作用や自浄作用を有する唾液の分泌量が少ないことも、誤嚥性肺炎が多い原因の一つとなっている。
 通常、口の中には歯周病原菌を含む非常に多くの細菌が存在するが、唾液が有する抗菌作用や自浄作用によって口腔内の細菌数は一定数に抑えられる。
 しかし、加齢とともに唾液の分泌量は減少するため、高齢者では口腔内が乾きやすく、歯周病原菌が増殖しやすくなるのだ。
 特に、歯磨きがおろそかであったり、口の中の清掃が行き届かなかったりなど口腔衛生管理が不十分であれば、口の中の細菌数はさらに増加し、その結果、誤嚥性肺炎のリスクも増大することになる。この事実は、臨床研究からも明らかとなっている。
 口腔ケアが不規則だった集団は、毎食後に口腔ケアを行っていた集団と比較して、肺炎の発症率が有意に高いという結果が出ているのだ。
 これを裏返すと、管理された良好な口腔内環境は高齢者の肺炎の予防に効果的であるということを意味する。口腔内の細菌が減少すると、肺の中に垂れ込んでしまう歯周病原菌も減少するため、誤嚥性肺炎の発症リスクは軽減されるのである。

以上、誤嚥性肺炎のリスク管理において口腔衛生管理が、極めて重要であることがご理解いただけたことと思う。
阪神・淡路大震災の震災関連死の中で

最多数を占めた「誤嚥性肺炎」

 実は、このことが社会的に意識されたのは、ある大きな災害が関与している。実際はあまり知られてはいないが、過去に口腔衛生が悪化したことで誤嚥性肺炎による死者が急増し社会的な問題となった事実がある。
 それが、1995年に起きた阪神・淡路大震災である。
 震災による総死亡者6434人のうち、圧死などの直接死は5512人であり、それ以外の原因で震災後2ヵ月以内に亡くなられた方々は「震災関連死」といわれ、その数は総死亡者の14.3%にあたる922人にまで上った。
 その震災関連死の中でも最多数を占めたのが「肺炎」であり、さらには、そのほとんどが「誤嚥性肺炎」であったのである。
 その理由は明白だ。まずは命が最優先、寝る場所や食べ物を確保することに重点が置かれ、衛生面の管理は見過ごされた。断水や水不足により、歯磨きはもちろんのこと、うがいすら十分にできず、口の中の衛生状態は日を追うごとに悪化した。
 当然、入れ歯を洗うことなど到底できず、不衛生にも口の中に入れた状態が何日も経過した。その先は言うまでもない。口の中の細菌は急激に増殖し、歯周病原菌を多く含んだ唾液を誤嚥してしまったことで肺炎を発症する人が多発した。さらには、震災で入れ歯をなくしてしまった人もおり、食事がうまくできないために栄養障害から免疫力が低下し、それも相重なり、より一層誤嚥性肺炎が生じやすい状況に見舞われた。
 こうした震災時の経験から、2011年の東日本大震災や2016年の熊本地震では、いち早く歯科医師、歯科衛生士を主導とした、うがいや歯磨き、入れ歯の洗浄などの口腔清掃が徹底され、誤嚥性肺炎の発生予防が重要課題として行われた。

東日本大震災では阪神・淡路大震災と同様のことが起こった

 それでも、東日本大震災では阪神・淡路大震災と同様のことが起こった。
 地震発生から約1〜2週間後に肺炎で死亡した人の数が最も多かったと報告されている。震災直後から口の中で増え始めた歯周病原菌は、たった1〜2週間のうちに誤嚥により肺に移動して、致命的なまでに増殖したのである。災害から避難することができても、避難所などで歯磨きや入れ歯の清掃などの口腔ケアが十分にできない場合、口腔衛生状態の悪化から身体全体に悪影響が及ぶ場合があるのだ。
 こうした事実から、口腔内を清潔に保つという意識を日頃から持つことが、いかに重要であるかがご理解いただけたかと思う。
 特に、災害時では、飲料水の確保が優先され、口腔ケアまでに十分な水が得られない状況が起きうる。そうした状況に備えて、日頃から非常用袋の中には歯ブラシや歯磨き粉、また水を使わないで口の中を清潔に保つことが可能な洗口液や口腔ケア用ウェットティッシュなどを常備しておくとよい。
 万が一、そうした備えがなかった場合には、食後の水やお茶でうがいする、また、ハンカチやガーゼを指に巻いて歯の汚れを取るという手段が有効となる。また、災害時には食事も制限されることから、どうしても唾液が減少し、口が乾きやすい状況にある。そのような場合、両顎の下を親指で押すと唾液腺が刺激され、唾液の分泌を促すことができる。唾液が抗菌作用や自浄作用を持つため、誤嚥性肺炎の予防につながることは上述したが、唾液の分泌が促されれば、それだけでも肺炎の予防につながることは覚えておいていただきたい。
 誤嚥性肺炎は、災害時にかかわらず、日常においても非常に身近な病気であることは冒頭で述べた通りだ。日頃から口腔内に関心を持ち、検診を受け、ご自身の口腔内の状況を把握しておくことで誤嚥性肺炎を予防することができる。歯科通院や訪問歯科診療受診など、専門家の口腔ケアを加えれば、より一層その予防効果は高くなる。誤嚥性肺炎を予防するためにも、今一度ご自身の口腔衛生管理を見直していただければと思う。

森下真紀
[歯科医師・歯学博士・日本歯科総合研究所代表取締役社長]
歯科医師・歯学博士・株式会社日本歯科総合研究所代表取締役社長
国立東京医科歯科大学歯学部歯学科首席卒業。在学時、英国キングスカレッジ歯学部留学。その後東京医科歯科大学歯学部附属病院研修医を経て、東京医科歯科大学大学院入学、博士号取得。日本学術振興会特別研究員(DC2)。
また、株式会社日本歯科総合研究所代表取締役社長。「日本を世界一の歯科先進国へ」をミッションとして掲げ、歯科業界の発展に貢献すべく活動を行っている。