【被災地を歩く】福島・浪江町、帰還まだ2%「元々何もなかった。慣れるとなんとかなる」避難解除後初の正月
【被災地を歩く】福島・浪江町、帰還まだ2%「元々何もなかった。慣れるとなんとかなる」避難解除後初の正月
昨年3月、福島県浪江町の避難指示が一部地域を除いて解除された。医療環境の厳しさや物資の不足が指摘される中で400人ほどが帰還した。この数字がまだまだ乗り越えなければならない課題の多さを象徴している。解除後、初めての年越し、そして、年明け。住民は何を感じ、何を望んでいるのか。元日の街を訪ねてみた。
昨年3月31日、浪江町は帰還困難区域以外の避難指示が解除された。しかし、町によると、昨年11月現在の居住者は440人。震災前の人口約2万1千人のわずか2%に止まっている。
正月といえば、初詣。神社に向かった。しかし、参拝客の気配はなかった。
神社をあとにして、浪江駅近くで、歩いていた女性(80)に出会った。昨年の避難指示解除とともに二本松市の復興公営住宅から戻ったという。
歯科足りず40日待ち
新年を迎えて、どのような年になってもらいたいかを尋ねてみた。
「お医者さんにかかりやすくしてほしい」
とりわけ足りないのは、眼科や歯科。歯科に至っては40日待つこともあるという。日常の生活でも、「食料品は(南相馬市の)原町まで買いに行く」と話し、まだまだ町内の販売網が整っていないことを訴えた。
町は28年10月に仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」を開設した。コンビニエンスストアや食料品店、喫茶店が並ぶ。それでも女性は「十分ではない」と話す。実際に訪ねてみると、コインランドリーを除いて、全て休業だった。
もっとも、そんな町の風景に違った見方をする住民もいる。
「色々なものがないといっても、ここには元々何もなかった。慣れてみるとなんとかなる」
こう話すのは、町内で電気工事業を営む男性(57)だ。その言葉からは、町外避難を続ける住民に感じている違和感がうかがえた。
「戻らない理由付けをしている。いつまでもひきずらず、町に戻るか、移るか決めればすっきりする」
指摘は厳しい。しかし、それこそが、東京電力福島第1原発事故が産み落としたコミュニティーの断絶かもしれない。
一方で、男性は言った。「今年はいいこともあるだろう。春になれば戻る人も増えてくるだろう。学校も再開する」
このニュースの写真
「戻った人は不便や不安を覚悟している」
浪江町は4月に小中学校の再開を予定している。
住民の立場で、早くから町の復興に関わってきたのが、浪江町行政区長会会長の佐藤秀三さん(72)だ。
佐藤さんは「浪江に戻ってきた人は不便や不安を覚悟して戻ってきた」と話す。自身も町の生活にさほど不便はないという。
「浪江に戻ってきた人同士で話しても、不満は話題にならない。それが『何か不安はないですか』と、かしこまって聞かれると、違った答えをすることになる。結果的に被災者とメディアが『風評』を作る格好になっている」とみている。
小中学校の再開にあたって、佐藤さんら住民が花を植えた。近くには住宅も建つ。「子供と競い合うことで高齢者も生きがいを持てるのではないか」。そう望んでいる。
佐藤さんの運転で夜の街を走った。家に灯る、生活の明かり。昼間には見えなかった住民の存在がそこからうかがえる。
「役場は440人住んでいるいうが、私は700人はいるとみている」
そう佐藤さんは語った。(内田優作、写真も)
