治療拒否した歯科医襲撃男に懲役8年 深刻「ペイハラ」の実態

 「ペイシェント・ハラスメント」(ペイハラ)という嫌がらせがある。患者や家族が医師らに非常識な要求や暴言、暴力を繰り返す行為で、患者の権利意識の高まりもあり、近年は増加傾向にある。3月には大阪・寝屋川の歯科医院で治療拒否され恨みを募らせた元患者の男(76)が医師を刃物で襲い、重傷を負わせる事件が発生。大阪地裁は9月、「あまりに身勝手」と指弾し、男に懲役8年の実刑判決を言い渡した。凶行の引き金は何だったのか。(杉侑里香)
無償やり直しを約束
 判決などによると、元患者の男は平成26年から寝屋川市の歯科医院に通院。虫歯治療などの目的があり、約2年後にはかぶせ物を装着する治療が完了した。しかし、後に男は治療した2本の歯の間に物が挟まるようになったと主張。歯科医師の男性(63)に対し、2本の歯に連結した冠を装着するよう要求した。
 医師は、希望する治療法では歯に汚れがたまりやすく健康上問題があるとして拒否したが、男の強い態度に押し切られ、連結した冠の装着を無償で行うことを約束してしまったという。
 その後、冠の装着を行うための治療が続けられたが、男は医師の当初の治療について「ミスだった」と執拗(しつよう)に指摘。29年4月、医師は治療の中止を決意し、男に伝えた。
 「もう、あなたにこれ以上の治療はできません」
 怒りを爆発させた男は行動をエスカレートさせた。
「男の約束を守れ!」。男はこう訴え、医院に押しかけたり、電話で苦情を訴えたりした。時には警察官が出動する事態もあった。これらの行動は2年弱にわたり繰り返されたという。
10分以上突き刺す
 事件が起きたのは今年3月15日の夕方だった。
 刺し身包丁と手製の手かぎを手にし、医院を訪れた男。待合室を通り過ぎ、他の患者を治療していた医師を襲った。
 医師は包丁をつかんで抵抗したが、手かぎで10分以上突き刺すなどされた。一命は取り留めたが、顔や手に約80針を縫う重傷を負った。
 殺人未遂などの罪に問われた男は、大阪地裁の裁判員裁判で犯行を認める一方、「自分に落ち度はない。医師が約束を守らなかったのが悪い」と訴えた。弁護人も、男が治療中止について公的機関に相談したが解決できず、追い詰められていたと明かした。
 会社勤めを終え、年金暮らしをしていた男。情状証人で出廷した息子は「誰かに暴力をふるう姿を見たことがない」と証言した。
 9月20日の判決。増田啓祐裁判長は、治療中止をめぐる経緯は双方で認識の違いがあるとしつつ、「別の歯科医を受診するなど手段はあり、動機は誠に身勝手というほかない」と指摘。「自分の論理だけで行動していなかったか、よく振り返ってほしい」と説諭し、懲役8年の実刑判決を言い渡した。

 理不尽な要求を繰り返す患者に対し、医師側が強い対応をとりにくい背景には医師法の「応召義務」があるとされる。診療を求められた際は「正当な理由なく拒否できない」と規定するものだ。
 ただ、医療をめぐる問題に詳しい福崎博孝弁護士によると、医療従事者の生命や精神に危害を加えたり、医療機関の業務を妨害したりする明確なペイハラに関しては「診療拒否の理由として認められる」という。
 さらにケースによっては逆に、ペイハラをした患者側が威力業務妨害などの罪や損害賠償の責任を負う可能性もあると指摘する。
 医療現場では今、ペイハラ対策が進んでいる。
 「院内交番」などのペイハラ担当部署の設置や警察との連携などの具体的なマニュアルを策定する動きが広がるほか、医療機関向けにペイハラ事案の弁護士費用を肩代わりする保険商品も登場。福崎弁護士は「ペイハラをする患者や家族は自分の言動が違法と自覚できていないことが多い。医療者側はそうした自覚を促すやりとりを工夫する必要がある」と話している。
Measure
Measure